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日本文学にみる猫の歴史

清少納言は枕草子の中で
「猫は背中だけ黒くて、腹の部分がたいそう白いのが良い」
と記しています。

 

清少納言は、白地に黒ぶちのある「ニ毛猫」が好きだったようです。
平安時代の絵画に登場するほとんどの猫は
清少納言が愛した「ニ毛猫」がほとんどです。

 

白地のぶちは、白斑遺伝子はが発現させるので
猫の先祖であるヤマネコにはない毛色です。
なので、稀少な毛いろとして珍重されていたのでしょう。

 

そして、三毛のぶち猫は日本で最も多い毛色です。
平安時代には猫の飼育が贅沢な趣味として流行し、
一条天皇は猫に位を与え、乳母までつけて寵愛した
という話もあります。

 

宇多天皇は、「寛平御記(かんぴょうぎょぎ)」に
漆黒の猫の美しさを書いています。

 

「源氏物語」の若菜の巻では、猫が不倫の恋のきっかけを作りました。
平安貴族に寵愛された猫たちは今のペットブームの古典版とでもいえるでしょう。

 

 

そして、江戸時代になると、尻尾の短い猫が好まれるようになります。
平安時代には、貴族の趣味として飼育されていた猫も
江戸時代になると庶民にまで浸透します。

 

江戸時代、徳川綱吉により、生類憐みの令が出されそれによって
猫が自由に外出し、思うままに数を増やしてきました。

 

そして、川柳、浮世絵、黄表紙などに描写されるようになるのです。

 

猫好きな文化人も多く、猫を題材にした
小説「朧月猫のさうし」など大流行します。

 

そした、化け猫伝説が信じられるようになるのもこの頃で
「尾の長い猫が歳をとると、二股に分かれて化ける」
という迷信が言われるようになったのです。

 

これにより、尾骨の突然変異によるボブテイルが好まれるようになったのです。

 

歌川国芳などの浮世絵師が書いた猫の絵は短い尻尾のブチ猫です。

 

平安時代、江戸時代とヤマネコ譲りの毛色のトラ猫は殆ど無視の状態で
文献などに登場しませんが川柳などにしばしば登場する
黒猫は、気の方(胸の病、肺結核や恋煩い)をなおす
おまじないとされていたそうです。

 

黒猫の呪術性は後々まで続き、夏目漱石が胃潰瘍で重篤になったとき
祈祷中に黒猫が現れ、身代わりのように血を吐いて死んだといわれています。

 

黒猫は、西洋の魔女伝説のなかでも、使い魔として真っ先に
火あぶりにされた毛色だそうです。

 

美貌で人を虜にする様や、猫なで声など
猫はしばしば女性になぞられることが多いです。

 

江戸時代になって町人に猫が浸透し、風俗の世界にも猫が登場します。
猫と言っても本当の猫ではなく遊興の女のことを猫と言ったそうです。

 

三味線が猫を材料とすることから芸者の隠語とされました。

 

また、金猫、銀猫、山猫となると遊女などの売春婦のことで
金、銀、山と料金が安くなり遊女の格が下がりました。

 

しっぽの短いブチ猫が流行する中で最も人気があったのは三毛猫。
三毛猫は、現代も人気がある、血統種のジャパニーズ・ボブテイルでも
国際的に「MI−KE」と表記されています。

 

そして、三毛はメスにしか発現しない毛色です。
オスの三毛も極稀にいますが、これは遺伝子異常などがもたらす例外です。
赤いブチを作る遺伝子は、性決定にかかわる性染色体上にあるため、
三毛はメスに限定されます。
このように、雄雌で発現に偏りがでるような遺伝を伴性遺伝といいます。

 

そして、猫の出てくる文学作品と言えば
夏目漱石の「我輩は猫である」。

 

この小説は、漱石が飼った初代猫がモデルであったといわれています。
漱石は、この猫が4歳で死ぬとその死亡通知を友人に送り、
十三回忌には九重の供養塔まで建てたそうです。

 

このモデル猫は、
「ペルシャ産の猫の如く黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入りの皮膚を有している」
と描写されています。

 

更に、漱石夫人によれば、
「全身黒ずんだ灰色の中に虎斑があり、一見黒猫に見える」
とのことです。

 

つまり、ダイリュート遺伝子といってそれまでの日本猫にはなかった
淡色を発現させる遺伝子を持っていたようです。

 

そして、昭和40年〜50年にはシャムネコが大流行します。
現代では、毛色も模様も多彩になりボディも旧来の日本猫よりも
大型化していますが、遺伝子がいろいろになっても
なくならないのはオーソドックスなトラ猫です。

 

これは、野生型の遺伝子が発現させる被毛でいはば、
「猫の中の猫」なのです。
トラ模様は猫のルーツを表す模様なのでしょう。